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山城新伍若い頃は娘の友達とチョメチョメ?最後は老人ホーム、嫁娘絶縁晩年

爆報!THE フライデー

流行語大賞『チョメチョメ』大物司会者、名高達男も慕った山城新伍の悲しい晩年とは?

俳優・司会者・タレント・映画評論家・映画監督としてマルチに活躍した山城新伍さん。
亡くなってから10年が経ちました。(死因:肺炎 享年70歳)
嫁は花園ひろみ、娘は南夕花という芸能一家で家族でテレビ出演することもありましたが
晩年は妻と離婚し、娘とも絶縁状態の最後だったといいます。

『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』や『新伍・紳助のあぶない話』など数々の
番組で愛された山城新伍さんについて調べてみました。




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山城新伍若い頃は娘の友達とチョメチョメ?

山城新伍経歴



《山城新伍経歴》
名前:山城新伍(やましろしんご)
本名:渡辺安治(わたなべ やすじ)
生年月日:1938年11月10日
没年月日:2009年8月12日
享年:70歳
出生地:京都府京都市
死没地:東京都町田市
学歴:京都府立山城高等学校
身長:174 cm
血液型:O型
職業:俳優・司会者・タレント・映画評論家・映画監督
活動期間:1957年 – 2008年
配偶者:花園ひろみ(1966年 – 1985年、1991年 – 1999年)
著名な家族:南夕花(娘、2000年に分籍)
所属事務所:東映⇒沢井プロダクション⇒サイプロダクション⇒プロダクションノータイトル⇒オフィス・タッチ
公式サイト:山城新伍プロフィール

亡くなって10年が経つのですね。

唯一無二の個性的なキャラクターで
俳優としてタレントとして、司会者として
数々のテレビ番組や映画、CMなどで活躍されましたね。


引用:YouTube

こちらは、1978年の『どん兵衛』のCMですが、
一緒に出演している川谷拓三さんも95年に亡くなっています。
(享年54歳、死因:肺がん)

父親は開業医、母親は看護師という家庭に生まれた山城新伍さんには
弟がいる長男。
弟も医師だというので、まさに医療系一家だったようです。

最初から芸能界の道を目指していたわけではなく
長男として父親の跡を継ぐことを考えていたようで
京都府立山城高等学校進学後は、大阪医科大学、関西医科大学を受験しましたが
受験に失敗し、芸能界の道へと入ったようです。

《京都府立山城高等学校》
住所:京都府 京都市北区 大将軍坂田町29
偏差値:59 – 65
学科:文理総合科(65)、普通科[前期試験](63)、普通科[中期試験](59)
出身有名人:伊丹十三(映画監督)、釜本邦茂(元サッカー選手)、尾崎亜美(歌手)、若井おさむ (お笑い芸人)
公式HP:http://www.kyoto-be.ne.jp/yamashiro-hs/mt/

ちなみに芸名(本名は渡辺 安治(わたなべ やすじ))の山城は
高校名からとったようです。

東映ニューフェイス第4期生・白馬童子に

時代劇スターに憧れエキストラを経験した後に
東映ニューフェイス第4期生として芸能界入り。
デビュー3年目で演じた『白馬童子』(テレビ時代劇)が人気。


引用:Amazon

『白馬童子』は子供向けの時代劇として制作された
いわゆるヒーローものでしたが、
山城新伍さんが演じる『白馬童子』が
いわゆるイケメンで都会的でスタイルもよかったことから
子供だけでなく大人からも人気の番組となりました。

若い頃画像

山城新伍さんのイメージは、白髪混じりの頭髪に
黒縁眼鏡で面白いおじさんというイメージですが
若い頃画像が気になったので調べてみました。


引用:Wikipedia


引用:https://newsnachricht.net/

目元が丸く大きいところは、面影が残っていますが
東映時代は、おどけた写真ではないので
テレビタレントや司会者として活躍していた時とは印象が異なります。

チョメチョメが流行語大賞?

チョメチョメとは、何なのでしょうか?


引用:Twitter

1979年に放送されたクイズ番組『アイアイゲーム』において
(フジテレビ系・1979年10月14日~1985年9月29日 毎週日曜 22時00分 – 22時30分放送)

司会を務めていた山城新伍さんが
クイズとして出題された問題の一部を伏字にしていた部分を
チョメチョメと音読したことがきっかけでした。

『アイアイゲーム』の出演者は、
名高達郎(現在名高達男さん)さん、せんだみつおさん、高見知佳さん、島田紳助さん、
中尾ミエさんなどでした。

チョメチョメとは元々「×」「駄目」「いけない」などを表現する俗語だったため
その後、広い意味でチョメチョメが使用されるようになりました。

ちなみに、『チョメチョメ』は新語・流行語大賞を受賞したという点ですが
新語・流行語大賞は1984年が初回なので、
1979年~1985年にかけて放送された『アイアイゲーム』番組内で流行った
『チョメチョメ』は1981年頃流行語にはなりましたが、
流行語大賞ではないようです。

ちなみに新語・流行語大賞初回受賞は、

新語 ⇒オシンドローム      ジェーン・コンドン(『タイム』フリー記者)
流行語 ⇒まるきん まるび 渡辺和博(『ガロ』元編集長・イラストレーター)

でした。

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嫁花園ひろみさんと結婚と離婚、馴れ初めは?

山城新伍さんが結婚したのは28歳の時。
結婚相手(嫁)は東映ニューフェイス第4期生で同期だった
女優の花園ひろみさんでした。

花園ひろみさんは山城新伍さんの2歳年下。


引用:https://junkcamera.at.webry.info/

山城新伍さんや花園ひろみさんの同期には
佐久間良子さん・室田日出男さん・山口洋子さんらがいました。

花園ひろみさんのデビューは山城新伍さんより1年早い
1958年で大川橋蔵主演映画『花笠道中』でした。


引用:https://43colinakorina.jimdofree.com/


引用:原寸画像検索

惚れていたのは山城新伍さんのようで、
花園ひろみさんとドライブ中に湖に突っ込む行動を起こし

「結婚してくれないとこのまま〇ぬ!」

と究極に選択を提示し、結婚を迫った情熱を持っていたそうです。

山城新伍さんと花園ひろみさんは二人で番組共演をしていたこともありますが
実は離婚しており、再度復縁結婚(再婚)しています。


引用:原寸画像検索

先程ご紹介した『アイアイゲーム』番組終了後の1985年に
一度目の離婚。
(山城新伍さん当時47歳 花園ひろみさん当時45歳)

原因は、山城新伍さんの派手な女性関係だったと言われています。

しかし反省したのか、6年後に復縁再婚しますが
再婚も長くは続かず約8年で再び離婚しています。
(山城新伍さん当時50歳、花園ひろみさん48歳)

女性遍歴(噂)

山城新伍さんは愛妻家の一方、他の女性との交流も盛んだった
噂になったのは、

・川島なお美さん

引用:http://samurai-trader.net/

・早乙女愛さん(女優)

引用:http://ord.yahoo.co.jp/

・山口美江さん(タレント)

引用:YouTube

・濱田のり子さん(女優)

引用:https://news.livedoor.com/

・川上麻衣子さん(女優)

引用:https://idol.ne.jp/

あくまでも噂なので、実態は分かりませんが
山城新伍さんの女性の好みは一貫しているようにも思えます。

元嫁の花園ひろみさんや娘の南夕花さんは
奔放な行動に嫌気がさしたと言われています。

娘の友達とチョメチョメとは?

あくまでも噂ですが、女性遍歴の中に
娘の友達が含まれているようです

このことに酷く怒りまた傷ついた娘の南夕花さんは
父親の山城新伍さんに絶縁宣言をしました。



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最後は老人ホーム、嫁娘絶縁晩年

糖尿病

1999年8月に花園ひろみと2度目の離婚後も
腐れ縁なのか、夫婦は同居を続けていたといいます。

2001年以降は同居を解消し、
以降は一人暮らしをしていたようです。

看板番組を持っていたり、司会者を務める一方、
逸見政孝さん闘病中やビートたけしさんのオートバイ事故の際には
代理で司会をするなど、テレビ出演が多かった山城新伍さんですが
2000年に入ったころから、徐々にテレビの出演が減ってきました。

一つには、持病の糖尿病が理由だったようですが
やはり愛した嫁花園ひろみさんとの離婚や
愛娘南夕花さんとの別離が大きかったようです。

2000年に娘南夕花と分籍

離婚すれば嫁とは他人になれますが
親子関係は法律上切れません。

娘南夕花さんの怒りは相当で、どうしても父親と呼びたくないと
分籍を望み、山城新伍さんの戸籍から離脱したようです。

《分籍とは》
戸籍から分かれて自己の戸籍をつくること

うつと認知症、老人ホームへ

2005年に糖尿病が悪化し入院。
当時72歳ですが、事実上この頃からテレビなど
メディアへの出演はなく引退となっています。

テレビで見なくなった山城新伍さんの近況が報じられたのは
2007年でした。

『「食べこぼしまみれ」徘徊の日々』
と報じられた山城新伍さんは
・デパートでカレーライスを食べこぼす
・自動販売機に吠える

などの衝撃の行動が週刊誌で報じられました。

その後、ワイドショー『ザ・ワイド』に出演し
「記事はでたらめ、食べこぼしする癖があるが食べこぼしはちゃんと自分で始末している」
と反論していますが、この頃には老人ホームに入所し
うつの症状がみられていたようです。

「このまま消えてしまいたい」
と発言するなど消極的な発言が週刊誌の後追い取材で明らかになると
衝撃が走りました。

「芸能界に戻る気はない」
「みんな自分の事を忘れている」
「娘には会いたい」

遺伝である糖尿病はコントロール出来ていたものの
糖尿病の影響で車椅子姿だったことも元気だった山城新伍さんを考えると
驚きでした。

この頃になると、認知症も始まっており突然怒るなどの
言動もあったようです。

老人ホームはどこ?

山城新伍さんの入所していた老人ホームは
東京都町田市にある特別老人ホームで
芙蓉会総合福祉ホーム芙蓉園
ではないかと言われています。

家族と絶縁、親友も面会拒否

山城新伍さんは広く芸能界で活躍していたので
特に梅宮辰夫さんや松方弘樹さんとは親友関係だったようですが
自分の弱った状況は絶対に見られたくないと
面会を拒絶していたようです。

そして、離婚した嫁や分籍した娘との晩年の関係ですが
絶縁状態のままで、お見舞い、通夜、葬儀、お別れの会
いずれにも母娘揃って出席しなかったようです。

亡くなったのは2009年8月12日
嚥下障害による肺炎で逝去 享年70歳でした。

戒名は「白慧院彰芸日安居士(びゃくえいんしょうげいにちあんこじ)」
白は代表作の「白馬童子」から取り、
遺骨は生まれ故郷の京都、金閣寺と京都市内の寺院に分骨、納骨されました。

葬儀は、身寄りのいないため
医師である実弟が務めました。

人気者だった名司会者の最後としては
かなり寂しい晩年でした。

『娘には会いたい』と言っていた個人の意向を組み
実弟や仕事関係者、事務所関係者が
元嫁や娘に葬儀出席などを打診したようですが
『会いたくない、関係ない』と拒絶されたようです。

最後までお読みいただき有難うございます。



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