家族密葬終了後のマスコミ報告、お別れの会の予定なし理由は深刻?
『クイズ・ドレミファドン!』『クイズ!年の差なんて』『ごちそうさま』
など数々の記憶に残るテレビ番組で活躍した
俳優の高島忠夫さんが26日亡くなりました。死因は老衰。
妻で女優の寿美花代さんとはおしどり夫婦で知られていました。
うつ病、心臓病、パーキンソン病と
病気続きだった晩年、自宅で看病し続けた寿美花代さんは
「最期は家族で見送りたい」と。
家族で密葬、現在のところの『お別れの会』予定なし。
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高島忠夫イエーイではない現在!
高島忠夫経歴
《高島 忠夫(たかしまただお)》経歴
本名:高嶋 忠夫
生年月日:1930年7月27日
没年月日:2019年6月26日
享年齢:88歳
出生地:兵庫県武庫郡(現:神戸市)
死没地:東京都
身長:181 cm
血液型:O型
職業:俳優・タレント・司会者
ジャンル:舞台・テレビドラマ・映画
活動期間:1951年 – 2019年
配偶者:寿美花代
著名な家族:
高嶋政宏(二男)
高嶋政伸(三男)
シルビア・グラブ(義娘、二男の妻)
高嶋弘之(弟)
高嶋ちさ子(姪)
事務所 東宝芸能
公式サイト 東宝芸能によるプロフィール
現在の神戸市東灘区御影町で生まれた高島忠夫さん。
祖父が大地主で莫大な不動産収入があった
とても裕福な家だったようです。
兄弟は4人で、高島忠夫さんは長男、
末っ子の弟には高嶋ちさ子さんの父親
(高嶋弘之氏)がいます。
引用:サンスポ
高島という苗字は、高嶋が本名で、高島は芸名のようです。
学生時代はとても優秀だったようですが
高校3年生ときにジャズに没頭し過ぎで高校退学したものの
得意だった水泳の推薦を受けて、
関西学院高等部に編入学。
軽音楽クラブに所属しました。
芸能界入りのきっかけ
高島忠夫さんの芸能界入りは、
21歳の時に映画会社新東宝のニューフェイス
「新東宝スターレット」の第1期生になったことでした。
当時は、関西学院大学は2年在学中でしたが
芸能界入りのためで中退しています。
寿美花代との馴れ初め
女優の寿美花代(すみはなよ)さんとの馴れ初めは
31歳の時でした。
寿美花代さんは宝塚歌劇団出身のタレントでしたが
宝塚退団後司会を務めていた
テレビ番組『季節のミュージカル』に
高島忠夫さんがゲスト出演したことがきっかけです。
2年間の交際を経て、1963年に結婚。
結婚後は、夫婦共演が多く、
『ごちそうさま』は人気番組になりました。
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寿美花代壮絶看病,病気歴は?
うつ病
長年、芸能界の第一線でおしどり夫婦として
常に注目を集めていた高島忠夫さんと寿美花代さんですが、
プロポーズをしたのは、寿美花代さんの方だったようです。
惚れ抜いた高島忠夫さんの異変が起こったのは
68歳の時でした。
1998年の夏(当時68歳)、
自宅で過ごしていたときに、高島忠夫さんが
「寒い。冷房を切ってくれ。毛布をくれ」
と言ったのが始まりだったようです。
風邪による体調不良だと思った寿美花代さんは
病院(内科)受診しますが、完治せず。
「窓も雨戸も全部閉めてくれ」
エネルギッシュだった夫、高島忠夫さんは
どこか魂を抜かれたようにぼーっとしていることが
増えたといいます。
朝から真っ暗な中、外出することもなく
自宅で平穏に過ごす毎日に違和感を抱き
受診したのは心療内科でした。
そこでうつ病と診断されました。
当時は、売れっ子タレントだった高島忠夫さん。
妻、寿美花代さんは、腹をくくり仕事を全部キャンセル。
自宅で看病することを決断します。
・会話ナシ
・冗談も無し
・外出なく家に閉じこもる
人が変わったような夫、高島忠夫さんに
寿美花代さんは涙が溢れたと言います。
寿美花代さんは、自分がうつ病の原因を作ったのかと
自責の念にかられたこともあったといいます。
仕事好きな夫は、
仕事をしたら症状が改善するのではないか?と
うつ病発症から1年後、テレビに復帰しました。
しかし自宅で単調に過ごしていた毎日と
テレビの刺激的な世界、
その環境の変化についていけず、
うつ病の症状は深刻になっていきました。
パーキンソン病
そんな看病で落ち込む心を癒してくれたのは
医師の言葉でした。
『思った時に、思ったことをノートに書きなさい。楽になるから』
ノートに思いのたけを殴り書きすることで
不思議に心がすっとしたといいます。
そんな中、高島忠夫さんの母親が亡くなったのです。
治療中であった高島忠夫さんの心が傷つくことを恐れて
2年間事実を伏せました。
2003年に事実を報告したとき
「今、言ってくれて良かった。ありがとう」
と高島忠夫さんは答えたといいます。
寿美花代さんが自宅介護にこだわったのは
密なコミュニケーションが図れるからとのこと。
手のマッサージや髪をとかす行為が
無表情ながら、安堵している様子の高島忠夫さんを見て
気持ちが和らいだと言います。
約10年後に、うつ病の症状が軽減していく中、
今度は糖尿病やパーキンソン病など、
ほかの持病に治療の中心がシフトしていきます。
この頃には外出もできるまでに回復。
心臓病
うつ病発症から約10年。
更に高島忠夫さんは、心臓に病を抱えます。
2010年(当時80歳)年に不整脈で
心臓にペースメーカーを付ける大手術。
既に表舞台から遠ざかっていましたが、
三男である高島政伸さんが一般人女性と再婚し
2年前1待望の第一子が誕生。
高島忠夫さんにとって念願の初孫でした。
この初孫が生きる活力になり、
「100歳まで生きる」とがんばって闘病生活を送っていたようです。
心配される寿美花代の現在
2人の息子(長男は、家政婦に誘拐され殺害されました)
も最愛の結婚相手を見つけ所帯を持ち
寿美花代さんは、愛する夫、高島忠夫さんを
自宅げ懸命に看護していました。
しかし、そうはいっても寿美花代さんも高齢。
最近はヘルパーさんにお手伝いを頼むこともあり
自分が倒れては本末転倒だと
頼める時は頼む介護生活だったようです。
2013年の『カスペ!』(フジテレビ系)では、
夫婦のありのままの姿を『老老介護』
のドキュメンタリーとして放送されました。
そこから5年あまり。
自宅で介護し続けた寿美花代さんの
旦那を失った喪失感は計り知れないと思います。
あれだけの人気タレントで、芸能界への貢献も高かった
高島忠夫さんの最期は、家族だけの密葬だったようです。
家族葬も、お別れの会の予定なしも
寿美花代さんのご意向だと言いますが、
葬儀が全て終わってからの死去発表に
寿美花代さんの深い悲しみが読み取れます。
『お別れの会』が有志で企画されることは
間違いなさそうですね。
改めて高島忠夫さんのご冥福を
心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただき有難うございます。
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