『なぜか埼玉』歌手さいたまんぞう『翔んで埼玉』人気に便乗で再ブレイク?
ご当地ソングの草分け?歌手のさいたまんぞうさんが
『爆報!THE フライデー』に出演されます。
現在70歳のさいたまんぞうさんのご活躍は?
『なぜか埼玉』の歌詞や誕生秘話とは?
不満爆発の事情は?
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さいたまんぞう 現在は不満ばかり?
『なぜか埼玉』のヒット曲を持つ、
歌手のさいたまんぞうさんが、
4月19日放送の『爆報!THE フライデー』に
出演されます。
さいたまんぞうさんって誰?という方に
まずは経歴をご紹介しますね。
さいたまんぞう 経歴は岡山出身
名前 さいた まんぞう
本名 牛房公夫(ごぼう きみお)
生誕 1948年12月9日
年齢 70歳
出身地 岡山県久米郡柵原町(現美咲町)出身
学歴 津山基督教図書館高等学校
職業 歌手、司会者、コメディアン、ドラマー、審判員 (野球)
岡山県出身のさいたまんぞうさんは、
6人兄弟の末っ子。
中学生時代から野球部に所属して
野球に熱中する野球少年だったようです。
高校も野球を続けようと、野球部のある
関西高等学校野球部の選抜を受験。
150人の中からトップ10に選ばれる実力者でしたが
6人兄弟という大家族の経済事情もあったのでしょう。
家長である兄から

と説得され、進学先を津山基督教図書館高等学校に
進路変更しています。
父親は、さいたまんぞうさんが幼少時に亡くなっているようで
大家族の一家を支えていたのは、兄たちだったようです。
当初希望していた関西高等学校野球部は入部と同時に
下宿が条件だったようで、野球は好きでも不自由さを嫌って
さいたまんぞうさんには少しのためらいがあったようですね。
津山基督教図書館高等学校は、野球部がなかったため、
野球以外の熱中するものを見つけなければなりませんでした。
そんな元野球少年の心を掴んだのは、
西郷輝彦の立身出世物語の自伝でした。
引用:http://blog.livedoor.jp/yousayplanet/archives/7639111.html
時のスター西郷輝彦さんは、
男同士の友情、一対一の対関係の友情を
歌っていたので、そういった歌詞や人柄に
ひかれていったのでしょうね。
西郷輝彦さんは、バンドボーイだったので、
さいたまんぞうさんも同じくバンドボーイを目指すのです。
岡山から上京して『なぜか埼玉』自主制作するまで
高校卒業後した1967年4月に岡山県から上京。
アマチュアバンドに入りドラムスを担当します。
当時は、渡辺プロダクションにバンドボーイとして所属。
・アウト・キャスト(グループ・サウンズ・1966年 – 1969年)のボーイ
引用:http://dankaisedai.co-suite.jp/groupsounds/outcast.html
・浜畑賢吉さん(俳優)の付き人
引用:Amazon
・コーラス漫談グループのスリートーンズ加入
引用:アメブロ
などしますが、スリートーンズ1979年に解散しています。
「なぜか埼玉」誕生
解散した翌年の1980年、年末に自主制作で誕生したのが
コミックソング「なぜか埼玉」でした。
『ご当地ソング』ではありますが、県内ローカル曲だったため
当初は知名度は全国区ではありませんでした。
これには、自主制作レコード会社が
栃木、群馬と「ご当地ソング」を制作しており
満を持してその第三弾として『埼玉』が選ばれました。
スリートーンズでコーラス漫談をしていた さいたまんぞうさんを
先輩が推薦し、『なぜか埼玉』を歌うことになったのです。
引用:YouTube
こちらが現在のさいたまんぞうさん。
アカペラで『なぜか埼玉』を一節歌っています。
印象的な歌詞ですが、全歌詞はコチラで見れます。
『ねぜか埼玉』歌詞はコチラ⇒リンク
リリース当初は、ローカル曲だった『なぜか埼玉』が
引用:YouTube
突然ヒットの兆しを見せます。
それは、人気ラジオ番組「オールナイトニッポン」で
『なぜか埼玉』が選曲されたのです。
番組MCは、なんとタモリさんでした。
『オールナイトニッポン』は若者が中心に聞く
深夜ラジオですが、当時はSNSなどありませんから
口コミが口コミを読んで、瞬く間に人気が上昇したのです。
当時『オールナイトニッポン』のリスナーだった世代は
現在の50~60代なので、その世代の人たちには
さいたまんぞうさんは懐かしく思い出されるようですね。
「なぜか埼玉」ヒットも現在は不満ばかり?
タモリさんに曲を取り上げてもらったことで
『なぜか埼玉』はただのローカル曲止まりではなくなりました。
当初、自主制作盤でのレコードでしたが、
商業用に動いたのが、フォーライフ・レコード
(現フォーライフミュージックエンタテイメント)で
これにより「なぜか埼玉」は
自主制作盤と商業盤を合計で12万枚のヒット曲になったのです。
ヒット曲を持つ歌手になったさいたまんぞうさんは、
この頃から現在の芸名『さいたまんぞう』を
名乗るようになったようです。
名づけの親は、『なぜか埼玉』を自主制作盤として世に出した
レーベル「ベガー・ミュージックK.K.」菊池清明社長でした。
漢字の『斎田萬蔵』と命名されたようですが、
画数の多い漢字ばかりでサインが大変ということで
ひらがな表記になったようです。
ヒット歌手となり、仕事はどんどん増えることを
期待していたさいたまんぞうさんですが、
意外にも、仕事は増えず一時的な話題になっただけで
そのブームもすぐに過ぎてしまったようです。
そのため、曲は有名になっても
歌手として顔が売れるきっかけをつかめないまま
ブーム終焉を迎えたのです。
これに世間は



とミステリアスな歌手として話題になったようです。
本来であれば、PPAPを生み出したピコ太郎(古坂大魔王)
引用:YouTube
のように、ブームが終焉しても、顔と名前が売れ
仕事がどんどん舞い込んでくるのでしょうが
SNSがない時代は、いまとは様子が違いますよね。
ネットで検索すると、さいたまんぞうさんが不満という
キーワードが出てきますが、この当時の印税が
不満の一つではないかと思われます。
さいたまんぞうさんは、単独で歌唱していますので
歌唱印税が受け取れますが、自主制作盤の制作会社は
さいたまんぞうさんの電話番号を知らなかったといいます。
まさかヒット曲になるとは想像もしていなかったのでしょう。
時代は、いまから40年ほど前ですから
SNSはもちろん、携帯もパソコンもファックスもない時代です。
電話番号を知らなければFacebookなどもありませんし
連絡の取りようがないですよね。
この曲の歌唱印税は
「ベガー・ミュージックK.K.」(商業盤を制作した)の社長が全部、
「フォーライフ」(自主制作盤作成)に売り渡したため
さいたまんぞうさんが受け取った金額は、
当時の給料の月給10万円のみだったそうです。
最後までお読みいただき有難うございます。
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