元プロ野球選手の郭源治(かくげんじ)さん。
郭源治さんは、台湾出身で1989年日本に帰化し、本名は佳久源治さんと言います。
今回は、そんな郭源治さんの現在や家族について調べてみましたので、ぜひご覧下さい!
《郭源治は現在は日本人!息子佳久創や嫁娘についてと店閉店理由!》
スポンサーリンク
郭源治は現在は日本人!
郭源治経歴
《郭源治経歴》
名前:郭 源治 (かくげんじ)
日本名:佳久 源治
国籍:日本
出身地:中華民国(台湾)台東県台東市
生年月日:1956年10月5日
年齢:62歳
学歴:輔仁大学⇒台湾陸軍
身長:178 cm
体重:75 kg
職歴:
中日ドラゴンズ (1981 – 1996)
統一ライオンズ (1997)
和信ホエールズ (1998 – 1999)
【選手情報】
投球・打席:右投右打
ポジション:投手
初出場 NPB /:1981年8月30日
最終出場 NPB /:1996年8月29日
郭源治は現在は日本人!
冒頭でも言いましたが、郭源治さんは台湾出身ですが、1989年日本に帰化し、日本人になりました。
郭源治さんは、1956年10月5日に台湾で生まれます。
大学時代には、自分の知識不足を感じ、遠征の新幹線では文学書や歴史、国際情勢などに関する本をいつも読んでいたそうです。通訳のない状態で、片時も参考書を離さず懸命に勉強して2年で日本語をマスターし、日本の小説や新聞も読んでいたそうです。
郭源治さんは、貧しい環境の中で育ち、中日と契約後に来日し名古屋空港を訪れた際も、所持金は数千円で荷物も風呂敷包みひとつで、契約金の1250万円は半額を両親に譲り、台北に家族の為のマンションを購入すると瞬く間に無くなったそうです。
後に、西武ライオンズに入団した郭泰源さんの契約金が推定1億円である事を聞きつけ、自分の評価の低さに愕然としたものの、「自分が台湾アマ球界からの先駆者である」「頑張れば給料を上げてもらえる」と割り切り、真摯な態度で練習を続け、遂には1億円プレイヤーへと上り詰めました。
日本への帰化については台湾への愛着などから非常に悩み、台湾では反対する意見も多かったたそうです。
しかし、日本で暮らしていく子供の幸せを第一に考え、さらに自分が外国人枠を外れることがチームの強化につながるため、星野仙一さんを日本一にしたいとの思いから帰化を決意しました!
そして、プロ野球選手現役引退後は、少年野球の指導や野球解説者として活動しています。
2018年には、東北楽天ゴールデンイーグルスの研修コーチをします。
現在は、再び台湾に行き、台湾でマニュアル選手に野球を教えているそうです。
スポンサーリンク
息子佳久創や嫁娘についてと店閉店理由!
結婚相手の嫁は日本人CA
郭源治さんは、元JALのフライトアテンダント(CA)で1984年にはミス日本に選ばれた方と結婚しました。
子供は、2男2女と4人います。
息子二人は双子なのですが、
次男は、佳久創(かく・そう)さんと言い、明治大学ラグビー部出身で、大学時代には日本選抜に選ばれました。その後、トヨタ自動車ヴェルブリッツに所属していましたが、2015年に退団しました。
その後は、アクロスエンタテインメントに所属し、現在俳優として活動しており、ノーサイドゲームに出ました。
他の子供の情報は、一般の方なので、詳しい情報はありませんでした。
そして、郭源治さんの弟は料理人として修行を始め、郭源治さんは現役引退後、弟と名古屋市で台湾料理店を営んでいましたが、1988年に弟が交通事故にあい、2013年に閉店しました。
まとめ
郭源治さんは、現在台湾に在住しており、マニュアルの野球選手に野球を教えています。
また、郭源治さんの息子は現在俳優として活動しています。
今後も、郭源治さんの活動を応援しています!
最後までお読みいただき有難うございます。
スポンサーリンク