皆さんは、梶光夫(かじみつお)さんという方は、ご存知でしょうか?
梶光夫さんは、歌手として活動していますが、最近テレビでは見かけなくなりました。
なので、今回は、梶光夫さんの現在についてと実家の跡継ぎについて調べて見ました!
《梶光夫の今現在はマダム虜の宝石商?息子は跡継ぎ嫁娘は?》
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梶光夫の今現在はマダム虜の宝石商?
経歴 歌手デビューは18歳
まず、梶光夫さんの経歴を紹介します!
梶光夫さんは、1944年9月9日に大阪府大阪市に生まれます。
現在74歳。
それから、遠藤実門下に入り、18歳の時に日本コロムビアより「黒髪」にて歌手デビューをします。
引用:http://www.kaji-international.co.jp/
梶光夫さんは、舟木一夫の後輩として華々しくデビューし、3作目となる「青春の城下町」が大ヒットしました!
テレビドラマでは、江田島海軍兵学校の青年将校の物語・菊田一夫作「若いいのち」の主人公を演じ。大ブレイクして、徐々に知名度も上がっていきました!
その後も、「可愛いあの娘」「わが愛を星に祈りて」「アキとマキ」など数々のヒット曲を出しました。
引用:http://rol.yukachi27.com/kajimituo-gennzai-133
1965年には、高田美和とのデュエット曲「わが愛を星に祈りて」のヒットは、ふたりで歌う青春純愛路線の作品のきっかけとなり、次々と注目を集めていきました。
月間のテレビ出演は40本を越えで、多くのグラビアを飾るスターとなりました!
そして、テレビを中心に映画にも出演した。
また、千昌夫さんが「梶さんに憧れていました」とコメントしました。
梶光夫の今現在
引用:http://www.kaji-international.co.jp/
こちらが梶光夫さんの現在の画像です。
梶光夫さんの今現在は、歌手活動も行いつつ、日本を代表する金細工師・宝飾デザイナーとして国際的に知られ活躍しています!
また、米国宝石学会(G.I.A GG) の資格を取得し宝石鑑定士としても知られています。
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実家はスイス時計店
生い立ちは実家が宝石商の長男だった
梶光夫さんの実家は、
大阪で時計・宝石・貴金属を扱う「スイス時計店」
長男として生まれました。
引用:http://www.kaji-international.co.jp/
つまり実家は宝石商だったわけです。
父親は、梶光夫さんが長男ということもあり、家業を継いで欲しいと熱望。
しかし梶光夫さん芸能界に入りたいと意見が食い違います。
父親は、芸能界入りを反対しましたが、梶光夫さんは父親を説得するために5年で辞めると約束しました。
その約束を守って、1970年に人気絶頂の頃に歌手を引退しました。
引用:http://www.kaji-international.co.jp/
歌手での成功もありましたが、
宝石商としての才能も開花。
第1回インターナショナルパールデザインコンテストにて
グランプリと銀賞をダブル受賞しています。
翌年には、宝石鑑定士になるべくアメリカに留学。
(当時28歳)
引用:http://www.kaji-international.co.jp/
宝石学とジュエリーデザインについて学び、
国際的な宝石の資格G.G.(グラジュエイトジェモロジスト)の称号を取得。
引用:http://www.kaji-international.co.jp/
梶光夫さんの作品は非常に独創的で
多くのジュエリーファンを魅了しています。
顧客には、多くの芸能人もいるようですよ!
息子は跡継ぎ、嫁娘は
現在74歳の梶光夫さん。
2代続く宝石商の家業を継ぐ子供はいるのでしょうか。
こちらは、梶光夫さんの息子さんで
後継者の梶武史さん。
父親に雰囲気は似ていますよね。
また、梶光夫さんの「娘」も検索されているようですが
ヒット曲の中に『可愛いあの娘』という曲があるので
この曲を検索されているようですね。
引用:YouTube
気になる妻との馴れ初めは分かりませんでした。
年収は?
歌手としてご活躍していた梶光夫さんの当時の年収は
約1500万円と言われています。
現在は、その倍以上であることは、
個展の大盛況ぶりから想像ができますよね。
梶光夫さんの場合は、多くの顧客を持つので
億単位かもしれません。
歌手活動はしてる?
家業を継いで現在は金細工師・宝飾デザナー、宝石鑑定士として活躍していますが、後年、本業に支障のない範囲に限定して、歌手活動を再開し、時折ステージに立ち歌を披露しています!
まとめ
梶光夫さんは、歌手活動を引退しましたが、現在は復帰して、歌手活動と実家の手伝いをしています!
今後も、梶光夫さんの活躍を応援しています!
最後までお読みいただき有難うございます。
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