萩原流行さんの死から4年、最愛の夫の無念を晴らしたい。
妻・萩原まゆ美さんは夫の霊を感じいまもずっと一緒?
萩原流行さんの乗ったバイクが転倒し
突然命を奪われた理由は
警察官(高井戸署の警部補(当時55))が運転していた護送車と接触したから?
4年越しの裁判の結果を調査しました。
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霊が妻を突き動かした,事故死真相!
萩原流行事故まとめ
《萩原流行さんバイク事故死まとめ》
日時:2015年4月22日午後6時頃
場所:東京都杉並区高円寺南の青梅街道
被害者:萩原流行さん(俳優)
内容:萩原流行さんが運転していたバイク(ハーレーダビッドソン)が 3車線の中央車線を走行中、左側から車線変更をした警視庁高井戸警察署の護送車と接触し転倒。後続車2台にひかれ、病院に搬送されるもおよそ1時間後に死亡
もうあの衝撃的なバイク事故から
4年が経過したのですね。
引用:YouTube
事故現場は、東京都杉並区高円寺南の青梅街道
引用:当サイト
三車線ある交通量の多い道路の真ん中の車線を
バイク(ハーレーダビッドソン)に乗った萩原流行さんが
走行していました。
事故死の真相は
警視庁杉並警察署と同庁交通捜査課によると、
事故当時、萩原流行さんは3車線の中央車線を走行していました。
事故現場は青梅街道。
荻窪方面から中野方面に走らせていたのです。
左側を走行していたのは警視庁高井戸警察署の護送車で
右に車線を変更しようとしたところ、
萩原流行さんのバイクと接触し転倒。
萩原流行さんはその衝撃で、道路から投げ出されたところ、
後続車(事故当時59歳会社役員運転の乗用車)の前輪と後輪に巻き込まれ
胸部を損傷したようです。
萩原流行さんは病院(東京医大)に運ばれましたが、約1時間後に死亡しています。
当時、事故は大きく取り上げあげられましたが
情報が混乱し、被害者は萩原流行さんか?というかたちで
報じられました。
引用:https://zaitakudemamawork.com/
事故が起きた当時、事故現場は雨が降り出していたようです。
バイクも車も慎重に運転していたと思います。
そんな中で起きた事故、被害者が人気俳優ということで
現場はかなり混乱したようです。
萩原流行さんが亡くなったことは報じられましたが
人気俳優の事故死という衝撃的なニュースでしたが
その後、事故の詳しい真相は報じられませんでした。
事故から1か月後、5月22日には妻の萩原まゆ美さんが記者会見を開き、
事故の真相を語りました。
引用:http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6581.html
まゆ美さんは「全く分かりません。何も伝わってきません」と述べ、
警察への強い不信感を表しました。
・当初護送車ではなくワンボックス車と発表したこと
・死因を心房破裂死と説明されていたが死体検案書には死因不詳とされたこと
など、最初に遺族であるまゆ美さんに伝えられた情報と
事実に多くの矛盾があることが訴えられました。
夫の突然の死を悲しみ、事故当初は、
「警察の捜査を全面的に信頼します」
としていましたが、数々の矛盾点に気付き
警察官を相手に裁判を起こすことになるのです。
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警察裁判の行方は?
警察裁判の判決と警官量刑は?
まゆ美さんの頑張りが身を結んだのか、
2度の記者会見の後、様々なことが動き出します。
8月14日、司法解剖の結果、左心房破裂および多発肋骨骨折を含む高度胸部外傷と報告。
9月10日、護送車のドライバーだった高井戸署の男性警部補が自動車運転過失致死傷の疑いで書類送検。
妻・萩原まゆ美さん立ち合いの元、
事故から1時間後死亡が確認された際、
医師の所見では死因は心房破裂とみられる
とされましたが、その後、
突如死因不明とされるなど、
遺族(家族)としては納得がいかないことが重なります。
それに加え、萩原流行さんを死に至らしめた
バイクの転倒原因も不明とされたのです。
警察車両(護送車)の車両の右前部角には明確な
萩原流行さんが乗るバイクとの衝突痕があったにもかかわらず、です。
当時の萩原流行さんは、行きつけの美容院に行く途中。
そして護送車を運転していた男性警部補(当時55歳)は
留置中の容疑者を、高井戸署員2人と病院に護送中でした。
警部補らの証言は
「ひいた感覚はなかったが、ドンとバイクが転倒した音が聞こえた」
そして、運転していた警部補は、
「萩原流行さんが乗っていた
バイクが道を譲ってくれると思っていた」
と供述。
これらを警視庁は、自動車運転処罰法違反の疑いで事情聴取していました。
当時は、前述したとおり、妻まゆ美さんも
うつ病を闘病中の身。
本当につらい中、最愛の夫を突然なくすという
耐えがたいショックを受けていたことになり
同情する声もたくさんありました。
妻まゆ美さんが疑問を抱き、警察相手に起こした裁判は
護送車運転の警官に罰金命令がおりました。
自動車運転処罰違反(過失致死)罪で、運転していた高井戸署の
袖崎賢訓警部補(事故当時55歳)に罰金70万円の略式命令
そして、後続車両の運転手だった会社員は不起訴処分となっています。
うつ病闘病中の夫の遺言とは?
萩原夫妻は、まゆ美さんが先にうつ病を発症し
続いて看護していた萩原流行さんもうつ病に。
晩年は、夫婦二人で闘病生活を送っていました。
二人とも心を病んでいた状態だったので
非常につらかったでしょうが、
同じ病気なので理解できることも多く
支えあいながらお互いを気遣っていたのではないでしょうか。
萩原流行さんと妻・まゆ美さんの間に
子供はいませんでした。
若い頃は、萩原流行さんの度重なる浮気
(それがまゆ美さんがうつ病を発症するきっかけに)
に悩まされましたが、晩年は改心したかのように
安心して萩原流行さんと共に過ごすことが出来ていたようです。
そんな中、突然の最愛の夫の死。
若い頃、まゆ美さんは舞台女優だったので芸能の世界を
自身も知っています。
しかし、夫を支えるために専業主婦を選び
二人三脚で、個人事務所というかたちをとった
萩原流行さんを応援し続けていました。
病気克服のために、服薬もしていたのは事実のようですが
好きなバイクに乗るときは、事故を心配して
服薬は避けていたようです。
生前、萩原流行さんは、
『自分に万が一のことがあれば、葬儀告別式はしない。
誰にも知られたくない』
とまゆ美さんに話していたようです。
まゆ美さんは、その遺言を忠実に守り
葬儀告別式は行われていません。
さぞ、寂しいだろうと想像しますが、
まゆ美さんは、『寂しくない』と言います。
『口に出すと変に思われるかもしれませんし、私にしかわからないことですが……。事故以来、左肩がずっと痛んでいるのですが、それは亡くなった流行の魂が、私のそばにいるからだと思うんです。実際、彼の声も聞こえてくることがあります』
私に霊感はありませんが、
どこかでいつも見守ってくれているような感覚が
まゆ美さんにはあるのかもしれませんね。
最後までお読みいただき有難うございます。
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