アントニオ猪木妻橋本多鶴子さんの死因や年齢、馴れ初めは?
4度目の結婚で、2017年に結婚したばかりの年下妻、橋本田鶴子さん。
職業は写真家として活躍されていました。
結婚から僅か2年の美人嫁がなぜ亡くなったのか?
アントニオ猪木氏との馴れ初めやこれまでの4度の結婚、元嫁は女優倍賞美津子?
アントニオ猪木さんの愛した女性たちを調べました。
スポンサーリンク
アントニオ猪木,妻田鶴子までの結婚歴!
アントニオ猪木経歴
《アントニオ猪木経歴》
名前:アントニオ猪木
本名:猪木寛至(いのきかんじ)
生年月日:1943年2月20日
年齢:76歳
出生地:神奈川県横浜市鶴見区
学歴:横浜市立寺尾中学校
前職:会社役員
現職:外交防衛委員会、国際経済・外交に関する調査会
所属政党 :スポーツ平和党⇒日本維新の会⇒次世代の党⇒日本を元気にする会⇒無所属(無所属クラブ⇒国民民主党・新緑風会)
190㎝の大柄な男で、たくさんのものまね芸人に崇拝され、
プロレスラーとしての現役を知らない若い世代にも多く知られているアントニオ猪木さん。
実は恋多き男性でした。
神奈川県横浜市鶴見区生麦町(現在の鶴見区岸谷)に生まれたアントニオ猪木さんは
10人兄弟の9番目。
父親が県会議員(著書より)でした。
父親はアントニオ猪木さんが5歳の時に病気で亡くなったため
母子家庭で生活。
実家は石炭問屋でしたが、第二次世界大戦後、
石炭から石油に需要が移行したことを受け倒産したそうです。
そのため家計は苦しかったようです。
そのため学歴は中学まで。
時代の影響もあってか、13歳の時、一攫千金を夢見て
母親、祖父、兄弟とともにブラジル移住。
サンパウロ市近郊の農場でコーヒー豆を育て収穫する
仕事に従事していました。
朝5時~夕方5時までの過酷な労働環境でした。
多感な少年期を異国の地で過ごしていたアントニオ猪木少年。
運動神経が抜群だったそうです。
陸上競技選手として現地の大会に出場するなどしていましたが、
砲丸投げで優勝するなど実績も積んでいたようです。
そんな中、ブラジル遠征中だった人気プロレスラー力道山の目に留まりました。
当時アントニオ猪木さんは17歳。
人気レスラーに直接スカウトされて日本に帰国、日本プロレスに入団。
プロレスの経験などもちろんないアントニオ猪木さんですが、
『上着を脱げ』
と指示され、背中の筋肉を見込んで、合格したそうです。
最初の結婚
アントニオ猪木さんは21歳の時に
最初の結婚をします。
気になる結婚相手はアメリカ人で
お名前は『リンダさん』。
若かったせいか結婚生活は長くは続かず破綻。
一度目の離婚をしました。
一部情報では、リンダさんとの間には子供ももうけたようですが
幼い時に亡くなったとも。
2度目の結婚 嫁は倍賞美津子でW不倫
二度目の結婚は、28歳の時。
再婚相手は、女優の倍賞美津子さん。
男はつらいよの『さくら』役、倍賞千恵子さんの妹です。
結婚期間は、1971年から1988年までの18年間。
子供も娘を一人もうけています。
倍賞美津子さんは、『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(2007年フジテレビ系)で
速水もこみちさん演じる主人公のボクの母親役が印象深いですよね。
2人は、プロレスラーと女優という意外な組み合わせながら
結婚当初は熱々の夫婦でした。
1億円の結婚式で話題になったり、
興業には多額のお金がかかるといわれるプロレスですが
猪木さんが関わった日本プロレスの旗揚げ時には、
知名度のある倍賞美津子さんが内助の功として、
宣伝カーのナレーションを吹き込んだり、
1000万円を融資に奔走したりしました。
しかし、ほどなくしてアントニオ猪木さんの浮気が発覚。
すると、倍賞美津子さんの方も、俳優の萩原健一さんと不倫。
いわゆる夫婦でのW不倫が発覚。
結婚生活に終止符を打つ3年前のことでした。
すぐに離婚するかと思いましたが、子供がいたこともあったのか、
仮面夫婦を続けながらも、3年後には離婚。
萩原健一さんも実は妻帯者。
石田あゆみさんと結婚していました(1980~1984年)
離婚した倍賞美津子さんは離婚後、萩原健一との愛を貫くべく
同棲を始めますが、すぐに破局。
理由は、萩原健一さんの浮気で
当時の浮気相手はバイオリニスト・前橋汀子さんだと言われています。
萩原健一さんも大〇での逮捕歴があったり、
数々の浮名を流してきましたが、
2019年3月26日に68歳で亡くなっています。
死因は、GIST(消化管間質腫瘍)。
スポンサーリンク
3度目の結婚
アントニオ猪木さんの3度目の結婚は、46歳の時。
結婚相手は一般人で22歳年下の女性でした。
3番目の嫁との間にも子供がおり、
結婚の翌年、1990年に息子が誕生してます。
この嫁との結婚生活は23年で破綻。
2人は2012年に離婚しています。
アントニオ猪木さん69歳の時でした。
離婚理由は、またもやアントニオ猪木さんの不倫ではないかといわれていますが
とてもモテるのですね。
4度目の結婚
その不倫相手が、4度目の結婚相手の田鶴子夫人だったようです。
田鶴子夫人と結婚したのは、約2年前の2017年2月20日。
(2/20はアントニオ猪木さんの誕生日です)
16歳年下の一般人女性で元カメラマン。
当時アントニオ猪木さん74歳、田鶴子夫人58歳
お名前は『橋本田鶴子』さん。
田鶴子夫人との馴れ初め
気になるのは、16歳年下の年齢差のある田鶴子夫人との馴れ初め。
実は、アントニオ猪木さんを30年支えてきたビジネスパートナーでしした。
2011年まで秘書を担当。
結婚して奥様となった今現在は、
アントニオ猪木さんのマネジメント会社『CORALZ(コーラルゼット)』
の副社長に就任していました。
CORALZ HP⇒リンク
8月27日未明、妻・田鶴子が永眠致しました。
生前のご厚誼に深く感謝致します。
カメラマンとして私の写真を撮りながら、
いつも献身的に尽くしてくれました。
今は感謝の言葉しかありません。
故人の遺志により、葬儀は家族葬で行います。
弔問、香典、供花はご辞退申し上げます。アントニオ猪木
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) August 27, 2019
引用:Twitter
しかし、そんな田鶴子さんが亡くなったと
アントニオ猪木さんのTwitterで発表されました。
Twitter内に書かれてある
『献身的に尽くしてくれました』
『感謝の言葉しかありません』
は、長年築き上げた信頼関係と
夫婦としての愛情の結びつきを感じさせます。
夫婦としては、2年間でしたが、
アントニオ猪木さんの誕生日に入籍していることを考えると
2人にとっての思い出の記念日に拘った背景も見えてきます。
スタッフとして、秘書として何十年も、
猪木さんの誕生日は特別な日としてお祝いしてきたでしょうし
この日を選んだのも、猪木さんなりのケジメだったのではないでしょうか。
田鶴子さんの死因については公表されていません。
しかし、現在60歳という年齢を考えると
事故以外は、何らかの病気ともしかしたら密かに戦っていたのかもしれません。
猪木さんもまさか自分より16歳も若い妻が
先に亡くなるなんて思ってもみなかったでしょうが、
もし闘病の事実があったとして、それも全部含めた上で
結婚していたのであれば、猪木さんのケジメを貫いたと考えられますね。
スポンサーリンク
現在は車椅子で病気はなぜ?
アントニオ猪木の今現在
プロレスラーとして活躍したアントニオ猪木さんは
その抜群の知名度を生かし、「スポーツを通じて国際平和」を信条とする
『スポーツ平和党』から参議院議員選挙に立候補します。
結果は比例区から99万3989票を集めて初当選。
(当時46歳)
プロレスラーとして抜群の人気があったアントニオ猪木さんは
政治家転身するも、プロレスは引退せず「二足のわらじ」の政治活動でした。
当時は参議院内で通称使用が可能ではなかったため、
政治活動は本名の「猪木寛至(いのきかんじ)」名義で行っていました。
現在も参議院議員として活動していますが、
初当選での人気6年を全うして、再選を目指したものの
これまで紹介してきた「女性問題」などの問題を指摘され
落選しています。
その後、政界からは離れていましたが
2013年に18年ぶりに参議院議員選挙に立候補。
人気を全うした2019年7月28日で政界引退しています。
選挙前の6月時点で、政界引退を公言しており
立候補しない考えを表明。
引退理由は『高齢』という年齢の問題でした。
アントニオ猪木さんが急遽応援に駆けつけてくれました!!
清水貴之に、闘魂注入!!集まって下さった大勢の皆さんと、イチ、ニー、サン、ダーーー!をやりました!ありがとうございます!#清水貴之 #日本維新の会 #参院選 #参院選2019 #参議院議員選挙 #兵庫 #アントニオ猪木 #猪木 pic.twitter.com/oYb851n8Bi
— 清水貴之 参議院議員兵庫県選挙区 (@CoTakayuki) July 20, 2019
引用:Twitter
自身は選挙に立候補しなくても、応援演説にはかけつけており
アントニオ猪木健在を示してくれました。
車椅子は病気(糖尿病)? なぜ?
引用:https://seasonal-topics.com/
こちらが、アントニオ猪木さんの近影とされている
車椅子の画像です。
2018年の9月9日、
北朝鮮で開催される「北朝鮮建国70年の記念式典」に出席のため、
メディア前に姿を見せたアントニオ猪木さんが
車椅子姿だったので世間は騒然としました。
理由は、
腰痛ではないか?と言われています。
プロレスラーとして体を酷使してきたアントニオ猪木さんですから、
76歳(当時75歳)となった今現在、
体の不調を訴えてもおかしくはないのですが、
その後も車椅子のままだと心配ですが、
先月の参議院議員の選挙応援には、
候補者の応援を車椅子ではなく、立った状態で応援演説していたので
大丈夫だとは思いますが、心配ですね。
また一方で、アントニオ猪木さんは、糖尿病を患っていて
一部情報では重篤であるとも言われています。
糖尿病は生涯お付き合いしなければならないので
糖尿病で手足の不調で車椅子ではないかという心配もありました。
しかし、猪木さんの場合は、支えてくれる女性がこれまでいたので
糖尿病など持病のケアは問題なく、病気と向き合えていると信じたいですね。
4番目の妻、田鶴子さんを亡くした今、
参議院議員の活動も終了し、極度の喪失感にいるのではと察します。
しかし、どうか無理のない範囲で、元気なお姿を見せて欲しいですね。
橋本田鶴子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただき有難うございます。
スポンサーリンク